拝所(うがんじゅ)

伊集ノロ殿内

伊集ノロは琉球王国時代の公的な神女の一人で、伊集巫火神・上津覇ノ嶽・糸蒲ノ嶽・伊集ノ嶽・シキマタノ嶽をはじめ、伊集・和宇慶・津覇の殿や根所などの祭祀を司りました。ノロ殿内は集落の後方にあります。

津覇のテラ

伊集世持殿

伊集ノロ殿内の後方にある拝所です。地元ではユージドゥンと称しています。

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フナングヮの殿(伊集)

伊集集落の入口にあります。「船蔵」という漢字が当てられるように、古くはこの一帯に湊があったといわれています。また、かつては馬場もあり、綱引きも行われていました。いわば、伊集のシンボル的な場所となっています。かつてはフナグラノ殿として、和宇慶村に属していたようです。

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和宇慶のウガン

和宇慶の集落北西側・松尾原にあり、旧正月の1月3日の初拝みや、9月9日の菊酒拝み、12月24日のシディガフーのときに拝まれています。

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糸蒲ノ嶽(津覇)

津覇集落後方の糸蒲原にある拝所。『琉球国由来記』によれば、神名は「糸掛カネ森ノセジ御イベ」となっています。

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富里之殿(津覇)

津覇の集落後方にある拝所。かつては稲ニ祭(五月と六月のウマチー)のさい、伊集ノロによって祭祀が行われていました。津覇には、そのほか上津覇ノ嶽(神名は津覇コダカネモリノセジ御イベ)があります。

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イベノマエノ嶽(奥間)

奥間集落の南西の広場の一角にあり、集落の守り神の役割を持った拝所です。綱引きのさいは、雌の神を迎えました。琉球王国時代には、毎年3月と8月の四度御物参のさい、屋宜ノロによって祭祀が行われました。地元ではイーマとも呼ばれています。

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神根之嶽(奥間)

奥間にある拝所。奥間にはこの拝所のほか中奥間之殿、當奥間座敷之殿、古隠座敷之殿などがあり、いずれも屋宜ノロが祭祀を管轄していました。

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キシマコノ獄(北上原)

現在の地番は北上原ですが、奥間の人々が拝んでいる拝所です。神名は「天次アマツギノ御イベ」。地元では、ヒシマク御願とも呼ばれています。

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当間の殿

当間集落の西側にある拝所。二月ウマチーをはじめ、重要な行事である綱引きのさいなどに祈願が行われます。地元では単にトゥンまたはトゥングヮーと称しています。なお、当間には同じように呼称される拝所が国道329号沿いにもあります。

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玉城之殿(屋宜)

屋宜の集落後方、国道329号沿いにある拝所。琉球王国時代には、当間と屋宜の両集落に関わる拝所となっており、屋宜ノロが祭祀を司っていました。かつて、中城間切には玉城という集落があり、この殿と何らかの関係があると思われます。

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アガリ之殿と地頭殿(屋宜)

玉城之殿の近くにある拝所。『琉球国由来記』には、屋宜村の祭祀を行う場として上記の「玉城之殿」のほか、「ヤン殿内之殿」と「ヤン殿内根所」が紹介されています。現在、アガリ之殿、地頭殿と呼ばれている拝所は、それと関わるものと考えられます。

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屋宜湊干瀬ノ御イベ

屋宜ガーラの河口近くの珊瑚礁の干瀬に設けられた拝所。地元では「屋宜湊のイビガナシー」とも呼ばれています。この一帯はヤージンナトと称され、古くは港であったと考えられています。『琉球国由来記』には「南風ノアゝビノ御イベ」と「西ノアゝビノ御イベ」の2神の名が記されています。現在のイビガナシーは戦後造られたもので、俗に雄イベと雌イベに区別されています。

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伊舎堂のお宮

かつての伊舎堂集落は中城城跡東側の台グスクの近くにあり、現在の地に移動したさい、火の神を遷したのが伊舎堂のお宮の始まりといわれています。現在のご神体は昭和11年につくられたものです。

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上久場之殿

台城の近くにあり、久場村発祥の地と伝えられています。古くは麦穂祭や稲二祭のとき、村人がシロマシや神酒を供え、大城ノロによって祭祀が行われました。現在はウマチーなどのさいに、門中の代表が拝んでいます。地元では一般にトゥンナーと称しています。

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久場の御嶽

久場のムラガーの背後にあり、御嶽内には久場の始祖と伝わる墓があります。神名は明らかではありません。かつて、一帯は久場の神聖な場所であり、現在でもウマチーなどのさいに門中の代表などによって祭祀が行われます。

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新垣ノ殿

新垣グスク東側の入口近くにあり、五月、六月のウマチーなどの祭祀が行われます。『琉球国由来記』に記されたウチバラノ殿は、この拝所に該当するのではないかと考えられます。

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